最近気付いたこと [002]

学科の演習で色々調べたり考えたりしていたことを書いてみます。ツイートにするにはやや長い話なので、ブログの方がいいかなと。

前提

さっそくですが、ある人が次の発言をしていることを想像してみてください。

  • XX大学に入ったことを後悔してるんだ。まあXX大学には入っていないけどね!

...意味不明ですね。こいつは何を言ってるんだと思うでしょう。では、この「意味不明さ」はどこから来るのでしょうか?観察を続けてみましょう。実は、1文目を否定文にしたり、節の中に入れたりしても、違和感は残り続けます。

  • XX大学に入ったことを後悔していないんだ。まあXX大学には入っていないけどね!
  • XX大学に入ったことを後悔しているから、今こうして必死に勉強しているんだ。まあXX大学には入っていないけどね!

つまり、この違和感の中心的な要因は「後悔する」という動詞です。よくよく考えてみると、私たちが「〇〇したことを後悔する」という表現を使うときには、「(実際に)その人が〇〇した」ことを当然の事実として受け入れているはずですよね。だから、直後にそれを否定すると意味不明に感じるわけです。

さて、言語学では、このようにある文章の前提となっている内容のことを(そのまんま)前提(presupposition)と言います。もう少しちゃんと言うなら、前提とは「文が適切に言われたと見なされるために、既に成り立っていないといけないような内容」のことです。そして「後悔する」のような単語は、前提を引き起こすという点から「前提のトリガー」と呼ばれます。

前提のトリガーは多種多様です。いくつか例を挙げると、

  • 動作の局面を表す動詞: 〇〇するのを止める → かつて〇〇していたことがある
  • 一部の副詞: 素早く〇〇した → 〇〇した
  • 定冠詞: The king of France is wise. → There is a king of France. 1

before / 前に

相違点

さて、ここでちょっと話を絞って、時間に関する表現に注目しましょう。まず、英語の"before"は前提のトリガーになると言われています2。実際、

  • Before Hanako came, Taro came. → Hanako came.

と、従属節の内容が前提になります。では対応する日本語の「前に」はどうでしょうか?

  • 花子が来る前に、太郎が来た。 → 花子が来た。(???)

このとき「花子が来た」は前提になっていません。なぜなら、花子がまだ来ていなくてもよいからです。例えば次のような文を付け足しても不自然ではありません。

  • 花子が来る前に、太郎が来た。花子はあと2時間で着く予定だ。

このことが示唆しているのは、"before"と「前に」が1対1に対応すると考えるのはややナイーブだということです。では、違いをもたらしているのは何でしょうか?

何が違うのか?

これはあくまで1つの見方ですが、上述のような違いは、助詞の「る」が非過去を表すという点に起因すると考えられます。まず、次の2文を見ればわかる通り、日本語では「る」で現在も未来も表せます。

  • 毎朝ご飯を食べる。
  • 明日はカレーを食べる。

そして助詞の「た」は過去を表すので3、「花子が来る前に、太郎が来た」という文では、太郎の到着時点(過去)から見て花子の到着時点が非過去であることが「る前に」により表されています4。逆に言えばそこまでの情報しかないので、花子の到着が「現在」(発話時点)から見て過去であろうとそうでなかろうと別に矛盾しない、というカラクリだったわけです。

一方で、英文の方では"Before Hanako came, ..."で"came"と言っている以上、少なくとも花子の到着は発話時点から見て過去であることは確定しています。このため、beforeは前提のトリガーになるのです5

"before"と「前に」の微妙な違いが伝わったでしょうか?私はこれが分からなくて数時間潰しました。


  1. この例だと分かりやすいのですが、前提のトリガーは何らかの事物の存在を必要とします(この場合「フランスの国王」)。「後悔する」も、後悔の対象である出来事の"存在"を要請していると見なせます。このような点で、前提のトリガーは代名詞に似ています。

  2. 実はこれは微妙で、内容によっては従属節の中身が成り立たないことがあります。e.g. “Before she got too hungry, she left for the cafeteria.”, “He died before he achieved the goal.”

  3. 細かいことを言うと、「た」には過去に限らず様々な用法が知られているので注意が必要です。e.g.「あ、明日当番だっ」「さあ、どい、どい!」

  4. このように主節の時点を参照して決まる時制を相対テンスといいます。「前に」「後で」が作るような従属節の中では、時制は相対テンスで解釈されます。対して、発話時を基準とするのが絶対テンスです。

  5. じゃあ「る」の代わりに「た」を使えば「前に」も前提のトリガーになるのでは?と思うかもしれませんが、「花子が来た前に、太郎が来た」は日本語としておかしいです。実は、「前に」は直前に「動作動詞の非過去形」しかとることができないのです。